2018.09.17

上間京子先生は数箇所の医院を経て、2000年にフリーランスとして活動を始めました。

歯科衛生士には人間性+知識+技術のバランスをコンセプトに、2003年に口腔健康の回復し維持できる歯科衛生士を育成するJokanスクールを開講。歯科衛生士の社会的地位の向上を使命とし、教育・啓蒙活動に尽力されています。


ダイジェスト


 

歯科衛生士としてのキャリアの原点について

人間はきちんと使命を与えられて生まれてくるんだと思っているんです。
それがなかなかわからないので、そこに行き着くまでがとても苦しいんですよね。私がそこへ行きついたのは50歳を越えた頃だったんです。


歯科衛生士業に天命を知るまで

一人前扱いされることがなく、お手伝いのような役割。

院長の言うことに黙って従うという空気感に、悔しさだったり悲しさだったりを感じていました。それが大きなエネルギーになっています。

結婚後、「私ってこんなものじゃない!もっと社会で何か認めてもらえることができるはずだ!」と思いました。

結婚して何もすることがなくラジオを聞いていたら、たまたまレポーターを募集していて放送の会社に入ったこともあります。しかし、マスコミって作られた虚像のような虚ろな感じがしてむなしくなったんです。
そのときに、医療って割に合わなくて大変だけれど、いいなと思い返しました。

歯科衛生士として何を成していくか

よく上間さんって仕事一筋でキャリアウーマンでと言われたり歯科衛生士として順調でと思われたりしているのですがそんなことはありません。

52歳だったかと思いますがある晩思いました。
日本の歯科衛生士をよくするのはどうしたらできるのかな、どんな立場だったら日本の歯科の偉い人たちに言える立場なのかと真剣に考えました。するとそれは国会議員だったんですね。なので誰か歯科衛生士から国会議員をださなければならない、と。

そのときに私の脳裏では歯科衛生士の業界を引っ張っている方を思いましたが、そのとき私は自分でなってしまえばいいんだ!と思ってしまったんです。
バカでしょう。(笑)


Jokanスクールを始めた理由

49歳でフリーランスになって色々な医院に行くようになって驚きました。

ひとつはなぜ歯科衛生士って勉強しないんだろうということです。2番目は技術のなさについてです。そして3番目が大きな理由で、社会人としての礼儀が足りない、知らないのではないのかということです。誰かが教えなければならないという理由で始めました。

私のところで力をいれているのは『手を作る』ということです。頭でわかっていても手が使えないと意味がありません。

衛生士の離職率に関して思うこと

衛生士学校にお話に行く際は必ず、「この業界には頑張っている歯科衛生士がたくさんいて、私も命がある限り歯科衛生士を続けます。みなさんどうか、その頑張る歯科衛生士の足を引っ張らないように勉強してください。

歯科衛生士は誇りの持てる仕事です。私は皆さんに嘘はつかないので、みなさんも頑張ってくださいね。」と言うようにしています。


仕事のやりがいとは

医療職では患者さんが先生なんです。何においても患者さんから学ぶということです。患者さんに教えていただき、患者さんに喜びをいただき、患者さんに返したくて勉強していく。この一連ですよね。

歳をとってきていろんなことがわかるようになってきて、歯科衛生士である自分にすごく感謝しています。歯科衛生士をとったら何もないんです。

歯科衛生士という資格をいただいているからいまの上間京子であって、お仕事もいただき、生活もさせていただける。こんな私のお話も目を輝かせて聞いてくれる人がいる。これは歯科衛生士だからこそです。
歯科衛生士という仕事に「ありがとう」ですね。


歯科衛生士へのメッセージ

動いて欲しいです。行動を起こして欲しいです。
いろいろな行動があります。例えば専門誌ひとつ開いてみるという行動。どこかスタディーグループに入ってみるという行動。講演会に行ってみるという行動。そこでしょうか。

若い頃って本当に未熟ですから、そこを教えてくれる人、諭してくれる人と出会えるといいですね。



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