海外における歯科保健指導 in フィリピン vol.1 〜留学したきっかけ〜

みなさんこんにちは!歯科衛生士の中村麻智子と申します。

私はこの度、語学留学のために4ヶ月間、フィリピン共和国とカナダに行ってきました。当初の目的は、私自身の「留学への挑戦」と「英語力の向上」でした。しかし、フィリピンでは語学学習とともに、日本の歯科衛生士としての経験を活かし、発展途上国支援として公衆衛生活動を行うことができました。

この連載では、私がその活動の中で学び、経験した歯科保健指導についてお伝えします。

国際協力や発展途上国支援、海外における歯科保健活動に興味のある歯科医療従事者の方をはじめ、海外に興味のない方でも、世界の現状を知る機会にしていただけると嬉しいです。

フィリピン共和国

発展途上国支援について考えるきっかけ

みなさんの中に留学経験のある方はいらっしゃるでしょうか?今や留学は決して珍しくない時代ですので、この記事をお読みの方の中にも留学経験をお持ちの方がいらっしゃるかと思います。

しかし、私の育った環境ではあまり馴染みがなく、私自身、「留学」と聞いてもぼんやりとした感覚で、大変そうというイメージしかありませんでした。

しかし、父が大学で国際科を専攻していた影響で、子どもの頃から英語に触れる機会はたくさんありました。

また、両親からは「あなたは恵まれ過ぎている、世界にはこんなにも貧しい子どもたちがいるのよ」と、中東紛争や難民キャンプの様子をテレビで度々見せられていました。その影響で、「将来は、この世でもっとも支援が必要なところに関わりたい」と思っていました。

歯科衛生士として働く中での出会い

そんな幼少期を過ごした私ですが、一番興味のあった海外で活躍する夢は、自分への自信の無さからいつしかあきらめるようになりました。その後、看護師の母の影響により医療職を目指した私は、歯科衛生士、介護支援専門員の資格を取得します。

そして今から約3年前、私は大阪市内の中之島にある晴和会うしくぼ歯科DUO大阪歯科医院に歯科衛生士として入社。私の語学留学や発展途上国支援のきっかけは、この歯科医院に入社したことにはじまります。

DUO大阪歯科医院では、“専門医による高度歯科医療の提供”をコンセプトに、国際的な視点をあわせ持ち、日々の診療を行っています。そのため、外国人患者の方々にも安心して歯科治療を受けていただけるよう、英語による歯科診療も行っています。

院長はもちろんのこと、受付や歯科助手の中には英会話が堪能なスタッフが在籍し、適材適所の役割を発揮しています。

DUO大阪歯科医院のスタッフと筆者(右端)
DUO大阪歯科医院のスタッフと筆者(右端)

今でも鮮明な記憶として残っているのが、入社当初のことです。受付スタッフが患者さんに英語で対応しているときの「発音の良さ」に、私はとても衝撃を受けました。

彼女には留学経験があり、休憩時間や帰り道には、留学中のことをたくさん聞かせてもらいました。そして私は、徐々に留学に対する興味が増していき、私も彼女のような女性になりたい!と思いはじめました。私にとって彼女は、とても刺激的な存在だったのです。

そんな彼女は、私にずっと留学をすすめてくれました。しかし、当の私自身は“この私が?”と、興味はあるけど留学生活を想像することすらできませんでした。

なぜなら、私のまわりには向上心の高い歯科医療従事者が多く、「私も歯科衛生士なんだから、歯科をもっと学びたい!」と思っていたからです。そのため、診療後や休日には、勉強会および学会に積極的に参加し、とても充実した日々を過ごしていました。それに加えて、当時は介護支援専門員の資格取得の勉強も行っていたので、「留学」はまだまだ興味の範囲でした。

診療後にマイクロスコープで練習する様子
診療後にマイクロスコープで練習する様子

まずは海外へ一人旅!

そんな充実した毎日を過ごしていた私は、留学や海外への挑戦をすすめてくれていたスタッフたちからの提案で、まずははじめて一人で海外旅行に挑戦することになりました。

まずは、近隣の韓国、台湾に行き、慣れてきたのでいよいよ英語圏へ出よう!と、次はハワイへ行きました。一人旅の際には、いつも職場のみんなから、お土産の購入や指定された店での食事、有名な観光地での写真撮影など、さまざまなミッションをもらいました。

このミッションを通して、私は海外で起こった数々の困難や出来事をなんとか解決して、一人で乗り越えることができました。そして、海外に一人でいることにも慣れ、どんなときも不安に立ち向かい、挑戦することによって、海外に対して抱いていた恐怖心もだんだんと消失していきました。

ハワイでのミッションだったフォトスポットで記念撮影
ハワイでのミッションだったフォトスポットで記念撮影

外国人患者さんへの対応を工夫する

海外への一人旅を終えると、入社当初は不安だった外国人患者さんへの対応について、私の中でのとらえ方が変わりました

私もDUO大阪歯科医院のスタッフとして、もっと外国人患者さんのために自分自身の力を最大限に発揮したい。今よりも専門性の高い英語を使うことで、外国人患者さんが安心し、信頼できる治療を受けていただきたいと思うようになったのです。

はじめはスタッフから学び、あいさつや誘導時の声かけなど、ひとつひとつの動作を英語で話すようにしました。

すると次第に外国人患者さんからも、発音やフレーズを教えてもらえるようになりました。担当していたネイティブの患者さんには、診療中によく使う歯科英会話のほか、歯周病やう蝕の説明や治療内容の説明、歯磨き指導、予防方法の英会話についても教えてもらいました。私はそれを一冊のノートにまとめ、完璧ではないなりにも、毎日英語で話すように心がけました

その結果、外国人患者さんの口腔内環境は改善し、次第に信頼関係が構築されていきました。そして気づけばご紹介の外国人患者さんも増え、私は「歯科に英語をプラスする」という方法で、より自分自身のスキルアップにつなげたいと考えるようになりました。

英会話を教えてくれた海外のメインテナンス患者さんと筆者
英会話を教えてくれた海外のメインテナンス患者さんと筆者

被災地支援の経験を通して留学を決意!

しかし、まだ私にとっては未知である「留学」への不安は拭えず、自分はどの方向へ進んだら良いのかわからないといった悶々とした日々を過ごしていました。

そんなときのことでした。関西地方は西日本豪雨という大雨による大自然災害に見舞われます。とくに岡山県、広島県は甚大な被害を受けました。

私は3年ほど公務員の経験があるのですが、当時の職場にはたくさんの東日本大震災に関する資料がありました。当時は、自分が被災地へ向かうような指示がでたらどうしようといった不安を抱きながら公務にあたっていました。

しかし、一人旅の経験で「興味があっても踏み込めないときは、一歩近づくための行動を起こすことが大切」と学んだ私は、被災地支援にも挑戦してみよう!という気持ちが芽生えました。

私は、比較的土地勘のあった京都府綾部市の支援からはじめ、最終的には西日本豪雨でもっとも被害の大きかった岡山県真備町へ行き、支援活動をしました。実際に被災現場を目にしたとき、現場でしか感じられない空気や被災者の混乱、疲れを肌で感じました。一方で、心温まるような声かけもいただくことができました。

休日は歯科に関わる学会や勉強会に参加することが多かった私ですが、被災地支援という経験をしたことで、一人の人間として大きな学びを得ることができました。

被災地支援の様子(岡山県真備町)
被災地支援の様子(岡山県真備町)

私はこれまで、英語や発展途上国支援に興味があるにも関わらず、「自信がない」「どうなるか不安」という理由で、自分には不可能だと決めつけていました。

しかし、英語を使って歯科診療を行うようになり、一人旅や被災地支援に挑戦したことで、いつのまにか留学に対する不安が消えたことに気づきました。そしてようやく、幼い頃から興味を持っていた発展途上国支援に挑戦しよう!と考えるようになりました。

それに加え、歯科医院のスタッフや国内外の担当患者さん、友人にはたくさん背中を押してもらい、私はついに語学留学へと一歩踏み出すことを決めました。

次回からは、フィリピンでの留学生活や、現地で行った歯科保健指導についてお伝えします。