わたしのDHスタイル #44 グリフィス友美さん『思い描いていた歯科衛生士像は米国に』

歯科衛生士は社会的価値の高い大切な職業であり、この社会になくてはならない存在です。

dStyleでは、今まさに臨床の現場ではたらいている方々にスポットライトを当て、等身大の歯科衛生士ライフを語っていただきました。

このインタビューが、歯科業界で輝くきっかけになれば嬉しいです。

***

今回は、米国で歯科衛生士として働くグリフィス友美さんにお話を伺いました。

日本にて歯科衛生士免許を取得したグリフィスさんは、複数の一般歯科へ勤務。

その後、縁あって松尾歯科医院に出会い、学会やセミナーに参加する中で、米国で働く歯科衛生士に魅力を感じて渡米を決意しました。

渡米後はネバダ州にあるCollege of Southern Nevadaに入学し、同校にある歯科衛生士科を受験。同州の歯科衛生士免許を取得後、複数の歯科医院に勤務しました。

現在は、ノースカロライナ州で臨床を行うかたわら、日本の各メディアにて米国歯科衛生士としての執筆活動なども行っています。

歯科衛生士 グリフィス友美さん
歯科衛生士 グリフィス友美さん

歯科衛生士を目指したきっかけ

少し重たい話になってしまうかもしれないのですが、私には仲のいい従兄弟がいます。その従兄弟の恋人が歯科衛生士だったんですね。

彼女は、とても素敵な女性でした。歯科衛生士のお仕事を心から楽しんでいて、よく話を聞かせてもらっていました。

そんな彼女に憧れて、歯科衛生士学校を受験。ですが、いざ私が合格した後のこと。彼女は、脳梗塞で亡くなってしまったんですよね。

当時彼女は、21歳。とても若くて元気な方だったので、本当に驚きました。

そして同時に、歯科衛生士になることをとても迷いました。「私が歯科衛生士になることで、従兄弟が彼女のことを思い出して苦しんでしまうかもしれない。どうしよう…。だけど、やっぱり私は彼女みたいになりたい。

その想いを従兄弟に伝えたところ、従兄弟は歯科衛生士への道を応援してくれました。

私は、「きっとこれは運命なんだ、歯科衛生士になるしかない」という思いとともに、衛生士になりました。これは、天職なんだと思いましたね。

実際に歯科衛生士になって、本当に良かったと心から思っているので、きっかけを作ってくれた彼女には、今でもとても感謝しています。 

あの出来事があったからこそ、「人生は短い。やりたいことがあるのなら、絶対にやるべきだ」という強い思いが私の中にあります。

彼女がいなければ、この職業を知らなかったですし、目指すこともなく、今ここにもいないと思います。

渡米のきっかけ

日本で歯科衛生士として勤務していた頃、自分が思い描いていた歯科衛生士像をなかなか体現することができず、どうすれば実現できるのかもわからない状況でした。

私は独立した“歯科衛生士職”として、患者さんとコミュニケーションがとれて、長期で向き合えるような仕事を望んでいたんですよね。

ですが実際は、アシスタントなのか歯科衛生士なのかわからないような業務体制。どの歯科医院にも独自のやり方があり、「もしこの職場を辞めたら、他に働ける環境はあるのだろうか?」と不安に思っていました。

そんなとき、たまたま米国で活躍する日本人歯科衛生士の方を雑誌で見たり、学会でセミナーを聞く機会がありました。

そこで知った米国で働く歯科衛生士の方々は、自分の仕事を確立されており、チームの一員としてドクターと対等に認めてもらえ、同じ目線で患者さんをみられていたんです。

まさに、私の思い描いていた歯科衛生士像そのもの。すぐに挑戦しようと決断しました。

再開
恩師である松尾歯科医院の院長 松尾通先生と

アメリカでの歯科衛生士学校時代

こんなに大変だと知っていたら、入学していなかっただろうと思うほどに、本当に多忙な学生時代でしたね。

特に、宿題と課題の多さは想像以上。ほぼすべてのクラスで、プレゼンテーションとエッセイがあるので、毎日のようにその準備に追われていました。

そして私の学校の歯科衛生士科は、学期の最後の成績が80%以上ないと次の学期に進めません。留年制度もないので、進めないということは退学ということ。ですので、テストも毎回必死で勉強していました。

また、実習を行うにあたり、課題に沿った口腔内の患者さんを自分で見つけてくる必要がありました。これも、一苦労でしたね。

ただ、より臨床に近い実習だからこそ、学校卒業後すぐに臨床で活躍できるスキルが身についたなと感じます。

あと、いちばん印象に残っているのは、女性刑務所での実習ですね。

刑務所の中に入るということも、なかなかできない経験ですし面白かったです。

二人一組で実習を行うのですが、一人の学生が治療中の間、もう一人の学生が受刑者が危ないことをしないかなど監視する必要がありました。

もちろん監視員の方もいらっしゃいましたが、患者さんの情報については、歯科記録しか見ることができずハラハラする体験でしたね。

College of Southern Nevadaの卒業式で友人のみなさんと

日本と米国で勤務して感じる違い

日本は、勤務する歯科医院によって歯科衛生士の業務内容が異なりますが、米国は州により多少の違いはあれど、大体どこの歯科医院で働いてもほぼ同じです。

ですので、派遣としてさまざまな歯科医院に勤務することも可能。

米国の歯科衛生士の就職活動では、複数の歯科医院で勤務しながら、自分にあう職場を探すことが一般的です。私も実際に、歯科衛生士免許取得後は、数件の歯科医院をかけもちしていました。

ただ、だからこそ責任の重さやプレッシャーは、日本以上だと感じています。

新卒の頃、当時勤務していた歯科医院で、院長が患者さんに訴えられることがありました。その際、私も裁判所に呼ばれ証言をした経験があります。

米国では、歯科医師のアシスタントについた者が、どのような診療を行い説明をしたのか、患者ノートに記入するのが一般的です。

私はその患者さんを診ていなかったので、自分自身の患者ノートを提示し、その旨を伝えました。

日本の歯科衛生士は、最終責任を担う歯科医師の指示のもとに動きますが、米国の歯科衛生士は、自分の行った業務の責任は自らでとります。

だからこそ、今回のようなアシスタント業務にも責任が伴います。もし歯科医師に何か不備があった場合、その旨もしっかり記入する義務があるのです。

この経験を経て、患者ノートへの記入はかなり徹底するようになりましたね。自らに賠償責任保険をかけるようにもなりました。

働く中で経験した、うれしい出来事

患者さんに「私の歯科衛生士になってくれますか?」と言われることですね。

デンタルIQが高ければ高い患者さんほど、同じ歯科医院に通われる方が多く、自分の担当を気にされている方も多いと感じています。

やはり私は、一人の患者さんを長く診ていきたいという思いがあったので、担当歯科衛生士として働けることはとても楽しいですし、やりがいを感じますね。

同僚でもあり患者でもあるAshley(歯科助手)と
同僚でもあり、患者でもある歯科助手のAshleyと

オススメの器具やお気に入りのグッズ

最近は、日本でも使用されている歯科衛生士の方が多いと思いますが、拡大鏡とそれに付随するライト。

この2つは、仕事の効率を上げるだけではなく、時間のセーブもできるので必須アイテムです。

拡大鏡を使用しはじめると、もう拡大鏡なしでは仕事ができなくなってしまいますね。

若手歯科衛生士へメッセージ

自分は、どのような歯科衛生士なりたいのか?それに近づくためには何が必要なのか?

これが分かれば、理想の歯科衛生士に近づけるのではないでしょうか?

私は、遠い未来より3年後のような近い未来のゴールをたてることが好きです。

まず3〜5年後のゴールを、自分の無理のない範囲でたてる。そして、すぐにできそうなことから少しずつ挑戦していく。それを繰り返し行うことで、いつのまにか自分のなりたい自分に近づいていると思います。

また、私は多くの知識と情報を集めるように心がけています。それが楽しさや、やりたいことが見つかる時間になり、モチベーションに繋がっているなと感じています。

まずは3年後の自分を楽しみに、お互いに頑張りましょう。

ボランティア活動を一緒に行ったクラスメイトと
ボランティア活動を一緒に行ったクラスメイトと

***

dStyleでは、“歯科で働く希望と可能性をあなたに”をコンセプトに、さまざまなフィールドで活躍する歯科衛生士の方々へインタビューを行っています。

ご興味をお持ちいただいた方は、ぜひご応募ください♪

お問い合わせは公式TwitterFacebookInstagramにてお受けしています。